遊べ地球人の事業が終わるにあたって

 ここのHPを運営しているからといって、直接的な「遊べ地球人」の関係者でないので、主催者の意図は計り知れません。長い歴史にピリオドを打つことは勇気の要ることですから、それなりに敬意を表するとともに、労をねぎらいたいと思います。私自身、人に感謝をするということを教えてもらった事業と大げさに言うようですが、小さな心のわずかな勇気で発せられた「ありがとう」という幼い子供の言葉に人生観を見つめ直す切っ掛けさえ授かりました。だからその子らに訴える何かを残したいという思いで、このHPを立ち上げました。ここ数年直接現場に行けなかったことで、多少写真をとおしてのメッセージにその思いが乗っかっていなかったのかここを訪れる人も少なくなり、今年は関係者さえフェードアウトしていまいました。最後に14回の「遊べ地球人」への思いを綴り、HPを閉じようと思います。

1991年に産声を上げた「遊べ地球人」の事業は当初事業のための事業の色合いからスタートしたような気がします。青少年教育問題を掘り下げると底なし沼にはまり込んでしまいそうな錯覚さえ覚えそうなそんな時代でした。それは今も変わらないかもしれないし、100年前も同じだったのかもしれません。 ひょっとして今からも変わらないのかもしれません。物質的豊かな生活の脱却をキーワードに手作りの第1回種子島が開催されたのがもう15年前、あっという間の15年だったような気がします!?振り返ってみてそれは多くの人たちと出会う事業でした。島に行った子供たち、スタッフ、ボランティアの皆さん、現地の人々、そして抽選に漏れて行けなかった子供たち・・・・。自分自身このHPを作ったように過去のことを振り返るのが好きな性質で、そして記録するのも 大好きです。この事業が教えてくれたのは一体なんだったのでしょうか?15年を経て物質文明崇拝はどこか違うのではとすこしでも思えたでしょうか?「心の豊かさ」とは とはっきりと説明ができる体験が出来たのであろうか?離島の自然を感じ足元を見つめ直すことができたのでしょうか?・・・・・様々な人たちの思いに触れてはじめて苦労して事業を開催した意義を確認できるのだろうと錯覚していたのだと思う。写真だけを観てみて関係者以外の人は単なる過去のアルバムであろうと思う でしょう。 この15年が次世代のために何か役に立ったのかどうか・・・・私自身は先に述べたように「ありがとう」という当たり前の言葉に目からうろこが落ち、確かに生き方が変わりました。子供に求めていたものを自分が享受してしまったアホな指導者だったのかもしれません。最後に今若者に創意工夫力が欠落しつつあります。何を任せても指示されないと動かないし、それから先も自分の力で考えることが出来ません。一昔前役所で窓口をたらい回しにあったような感覚と一緒で無関係なところを関連付けられない無力感が同一です。社会の一員としての他との関係創造は生きる喜びと連鎖してるのであると考える力をつけて欲しいと最近強く思う。大なり小なり人の塊の中で生きていく上で必要になってくるのは創意工夫力であると思います。遊べの奇跡はそれぞれに無言のうちに花開くだろうことを念じて止みません。