遊べ地球人の経緯

有りそうで無さそうな質問に前もってお答えするコーナー

発 生 理 由

1990年春 (社)鹿屋青年会議所に教育青少年委員会なるものがあり、関連事業を侃侃諤諤模索しておりました。そのときの委員長 岡本氏の考え方は自然と歴史伝統のふれあいがテーマでありましたが、手段が見つからず苦慮しておりました。そんな中、市の社会教育課との話し合いのなかで、一緒にやってみませんかのお誘いで共催と言う形で話は進んでいきました。そのころ社会ではいじめや不登校、青少年犯罪の低年齢化等々のニュースの無い日がないくらい教育の現場も大変な時代背景があり、何か、地域の中で子供の健全育成を助成できる事はないかと話し合いを進める中、日常の生活から飛び出して、様々な体験をすることにより、様々な問題にぶつかり,自らが何かを見つけ出し、工夫して取り組むことの出来る事業と結論をつけ、考えた末ではありますが、オーソドックスなキャンプをやろうとなったわけです。簡単なようですが、補償社会と言われる中、余りに子供を預かる事業はリスクが大きく、準備にしてもシュミレーションを重ね、現地での健康・安全等々の対処など、大変な本部の苦労がありました。鹿屋市職員の方々の取り組み、委員長の度胸がなければ無かった事業なのかなぁと考えます。なぜ、離島で開催したのか? 勿論、日常を飛び出していく意味、本土と違う未知の自然との遭遇など理由はありますが、仕事を持つスタッフの無責任な現場放棄を禁じるための意味合いもありました。

なぜ続いたのか

委員長の苦労はいちスッタフとして参加したものには計り知れないものがあり、最終日の安堵の表情はプログラム完了の喜び、無事に子供達を親元に届けた達成感そのもだったように思います。そんな中、中途半端な継続は危険極まりないとの申し送りが次年度の理事長へあることを知る中で、スタッフの苦労(仕事を長期休む、準備にかかわる物理的精神的なプレッシャー)、事業の反省・問題点のクリアーは当然としても、ようするに事業対象者(子供のこと)への思い、冒頭述べた教育の現状を改善するための役割への参加をどうするかを改めて考えたとき続けることを選択したわけです。

なぜ島が変わるのですか

山登りをする人がそこに山があるからだといった。そこに島があるからだじゃないのですが、継続事業としての危険性は何処に存在するのか?つまり、経験をつんだ?人間の話を鵜呑みにしてしまい、実際携わるスタッフの「つもり」がトラブルを招いてしまうのではないか…と当たり前みたいなことなのですが前回の事業を完全にリセットし、0からの準備をすることにより一から十まで関係者がシュミレーションをすることに於いて遭ってはならないことを回避できるのだと考えます。なぜ、その島なのかこれは大事なことであるのです。動機を聞かれて即座に返答できるスタッフの意気込みがこの事業を支えてきました。そこには、○○があるから、○○を見られるから、何でもいいと思います。自信を持って携わりこつこつと一歩一歩進むことが一番肝要だと思います。頂上へ辿り着いたときの満足感は登った人じゃないとわかりません。道中なぜ登るのですかときかれたら、即座にそこに山があるからですと答えられる目的意識が万難を排します。

リ  ス  ク

アドベンチャーの意味あいを持つこの事業では如何にぎりぎりの体験をさせてあげられるのかが大きなテーマでもあります。いくら体験学習といっても結局、スタッフ関係者の手のひらの上でしか活動させることが出来ないのです。危険と隣り合わせのところに、日常出来ない感動があるものです。しかしながら、それも安全と判断できる手のひらの上のこと、その手のひらをどのくらい広げられるかが主催者の頑張りどころなのです。テーブルの上でリスク論を繰り返してもいっこうに子供達の感動は得られません。問題があれば即、現地を訪ね、いろいろな人々のサポートを得ることでリスクをクリアーできるのです。これまでに島の役場の方、当地青年会議所(特に奄美大島青年会議所)、県議会議員、船会社、地元では鹿屋市教育委員会、鹿屋市職員、ソロプチミスト鹿屋、鹿屋体育大学、病院、一般ボランティア(教職員、市内高校生、看護婦)、JCOB等々様々な方面から事業推進にあたって心の支えとなるご協力を頂き大きな手のひらになったことも忘れてはならないことだと考えます。感謝!  すぺしゃるさんくす

プログラムあれこれ

海水浴、魚釣り、キャンプファイヤー、星の観察などキャンプの定番的なものは毎回あるにしても、その時々の委員会の発想をプログラムの基本としてきました。悪い言い方をすれば、玉虫色の事業?とでもいうのでしょうか?もちろん島が違いますしスタッフも違います、時代にマッチした(大げさですが)やり方を基本的な体質として、独自の発想の具現化がこの事業の魅力のひとつでもあると思います。これまで、分刻みのプログラム、すべて子供の決めたことを通すプログラム、班グループを解体して好きなことを選択させるプログラム、お金を持たして材料を調達させる炊飯プログラム、島の祭りへ参加、また、スタッフも子供に対して攻める者・待つ者いろいろで毎回、各班、個人の体験・感動がばらばらの事業です。それだけに完全掌握する本部の準備は相当なものがあります。

これから

さぁーどうなるかわかりません。来年無くなるか続くのか?実はこれまでも事業中止の話がありました。目的意識のない事業は特にこの「遊べ地球人」だけは容易に続けることはまかりならない。と創始者(岡本氏)以下思い入れのある数人あるいは理事長により警鐘をいつも鳴らしてきました。必要だと思うけど大変だとの声が正直いって大勢を占める中、自ら手を上げて「この事業をやります」の気持があれば続くと思います。時代が変わりこの事業が地域の中で必要であるのかないのか客観的に見つめなおす10年目の節目でもあります。外部の方々にも色々意見を求めるのも大事だと思います。自分が実行委員長をしたときに、是非来年もやってくださいと言われた事に勇気を得、先日も親御さんに遊べ地球人だけはやめちゃいかんとまで言われ、子供達に素直にありがとうと言われた言葉をどう受け止めるかにかかっているような気がします。

新たな取り組み

恥ずかしい話ですがタバコのポイ捨てを悪いことと意識が少ないころ、子供にキャンプ場周辺の清掃をさせて、来たままの状態でキャンプを後にしよぉーその行為自体は大事なことですが、スタッフの吸殻が多いのは問題であると、ここから環境問題への取り組みがはじまったと思います。環境問題が当たり前な人や無頓着な人、しかし子供には多大な影響があります。キャンプ生活のお手本を示すべきスタッフの後姿はしっかり目に焼き付いてしまうからです。それだけに留まらず、キャンプ場周辺においてもゴミ、洗剤、火の使い方などなど、多人数で島に訪れることにおいての影響等一種ジレンマも覚えながら実施する事に環境に対しての責任をきっちり果たす時代に来ております。数年前から徐々に具体的に取り組みを始めておりますが、まだまだ、十分といえる状態ではないと思います。次世代への引継ぎとして子供達に託すのではなく、スタッフから変わっていかなければ次の時代も一緒のような気がします。ひと昔と違いキャンプへの規制(マナーの悪さが改善されない限り当たり前)が厳しくなる中、何処でも通用するやり方を私自身勉強していかなければと考えております。

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